研究成果の紹介
神経細胞が脳内を移動するための新しい仕組みを解明
~細胞は自分のかたちの変化に応えて移動の推進力を生み出す~
脳疾患の原因解明や神経再生医療への応用に期待
神経細胞が脳内を移動するための新しい仕組みを解明
~細胞は自分のかたちの変化に応えて移動の推進力を生み出す~
脳疾患の原因解明や神経再生医療への応用に期待
【概要】
奈良先端科学技術大学院大学(学長:塩﨑一裕)先端科学技術研究科バイオサイエンス領域の嶺岸卓德助教、稲垣直之教授、名古屋大学大学院工学研究科の高橋康史教授、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科の成瀬恵治教授らのグループは、神経細胞が脳内を移動するための新しい仕組みを明らかにしました。
私たちの脳が正しく形作られるには、神経細胞が脳内の適切な場所に移動することが必要です。脳内の目的地に到達するために、神経細胞は、先導突起と呼ばれる長い突起を使って移動します。移動の最初のステップでは、周囲に存在して道標になるガイダンス分子に応答して先導突起を進行方向に向かって伸長します。続いて、細胞体を先導突起が伸長した方向に前進させることで移動します。神経細胞はこの 2 つのステップを繰り返すことで脳内を移動しますが、先導突起が伸長した後にどうして細胞体が前進するのかよくわかっていませんでした。今回、同グループは、神経細胞が先導突起の伸長に自ら応答して細胞内シグナル伝達を引き起こし、細胞体を前進させる推進力が生み出されることを明らかにしました。また、この仕組みが働かなくなると、神経細胞が移動できなくなることも突き止めました。
神経細胞の移動に障害があると、脳奇形、てんかん、知的障害などの重篤な脳疾患が起こることが知られています。また、神経細胞は、大人になっても脳の一部領域内で新しく作られ、損傷した脳領域に移動して脳機能の再生に関わることが報告されています。そのため、本研究の成果は、脳疾患の原因解明や神経再生医療への応用に繋がることが期待されます。
本研究成果は、国際科学雑誌EMBO Journal 誌に 2024 年 12 月 20 日(金)午前 10 時(GMT 時間)に公開されました(DOI:10.1038/s44318-024-00326-8)。
【研究の背景】
物事を考える、体を動かすなど私たちが日常的に行う活動は、脳の働きにより支えられています。脳は、胎生期に数多くの神経細胞が脳内の適切な場所に移動することで形作られます。脳内の目的地に到達するために、神経細胞は、先導突起(注 1)と呼ばれる長い突起を使った特徴的な移動を行います。その移動方法は、オリンピック競技のボルダリングに例えることができます(図 1)。はじめに、神経細胞は先導突起の先端部(手)を使って周囲に存在するガイダンス分子(手がかり)を探索し、進行方向に向かって先導突起(腕)を伸ばします。続いて、推進力を生み出して細胞体(体)を先導突起が伸びた方向に前進させます。神経細胞はこの 2 つのステップを繰り返すことで脳内を移動します。
これまでの研究により、細胞体が前進する際には、カルシウムイオンにより情報伝達する「カルシウムシグナリング」が起こることがわかっていました。また、このカルシウムシグナリングにより、細胞体の後部で収縮作用があるタンパク質のアクトミオシンが活性化し、細胞体を前に押す力が生み出されることが報告されていました。しかしながら、先導突起が伸長した後にどうして細胞体が前進するのかよくわかっていませんでした。
【研究の成果】
先導突起の伸長の後に細胞体が前進する仕組みを明らかにするため、本研究では、先導突起の伸長によって発生するシグナルを調べました。他のグループの研究により、神経細胞の軸索が伸長すると、その軸索に沿って張力が発生することが報告されています。そこで、走査型イオン電動顕微鏡(注 2) を用いて移動する神経細胞の膜張力を計測したところ、先導突起の伸長に伴い膜張力が増加することがわかりました。
また、細胞伸展装置を用いた解析により、先導突起の伸長による膜張力の増加が機械受容チャネル(注 3)の一つであるTmem63b を活性化し、細胞内にカルシウムイオンを流入させることを見出しました。さらに、このカルシウム流入によりカルシウムシグナリングが開始され、細胞体の後部でアクトミオシンの活性化が起こり、細胞体を押す力が生み出されることがわかりました。これらの結果から、神経細胞は、先導突起の伸長(かたちの変化)に自ら応答して細胞体を前進させる推進力を生み出すことが明らかとなりました(図 2)。
最後に、顕微鏡を用いたライブイメージングにより神経細胞の移動を解析しました。その結果、Tmem63b の発現抑制により自身のかたちの変化に応答できなくなった神経細胞は、細胞体の前進が阻害され、移動できなくなることがわかりました(図 3)。すなわち、かたちの変化に応答した推進力の発生機構が神経細胞の移動に必要であることが示されました。
【研究の意義と位置づけ】
今回の研究は、神経細胞が脳内を移動するための新しい仕組みを明らかにした点に意義があります。神経細胞の移動は脳の形成に不可欠なプロセスであり、その移動障害は脳奇形、てんかん、知的障害 などの重篤な脳疾患の原因となることが知られています。本研究が明らかにしたシグナル伝達の要と なる Tmem63b は、脳内に広く発現することが知られており、その遺伝子変異は脳奇形を引き起こすことが報告されています。そのため、かたちの変化に応答するシグナル伝達経路の機能不全が、神経細 胞の移動障害を原因とする脳疾患を引き起こす可能性が考えられます。
また、最近になり、成人の脳の一部領域で神経細胞が新しく作られることが報告されました。これらの神経細胞は、脳梗塞などでダメージを受けた脳領域に向かって移動し、脳機能を再生することが示されています。こうした背景から、神経細胞の移動は、神経再生の治療法開発を目指す研究の新たなターゲットとして注目されています。本研究の成果は、神経科学、発生学、細胞生物学の発展のみならず、ヒトの脳疾患の原因解明や神経再生医療といった医学領域の研究も加速することが期待できます。
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)「メカノバイオロジー機構の解明による革新的医療機器及び医療技術の創出」研究開発領域における研究開発課題「細胞-基質間の力を基盤とした細胞移動と神経回路形成機構の解明およびその破綻による病態の解明」(研究開発代表者:稲垣直之)および日本学術振興会(JSPS)科学研究費、大阪難病研究財団による支援によって実施しました。
【用語解説】
注 1 先導突起:移動する神経細胞が持つ人の腕の形をした神経突起。周囲に存在するガイダンス分子に応答して神経細胞を正しい方向に移動させるナビゲーターとしての役割がある。
注 2 走査型イオン電動顕微鏡:ガラス製のピペットを探針に用いて、細胞とピペット間のイオン電流を測定する顕微鏡。ピペットは細胞に直接触れないため、細胞ダメージを抑えながら細胞膜張力を定量解析できるメリットがある。
注 3 機械受容チャネル:細胞膜に存在し、外部からの物理的な刺激(水流、浸透圧変化など)を受けて活性化するイオンチャネル。触覚、心血管調節などの様々な生理活動の制御に関わる。
【掲載論文】
タイトル:Mechanical signaling through membrane tension induces somal translocation during neuronal migration
著者:嶺岸卓德 1,#、長谷部帆南 1、青山友耶 2、成瀬恵治 3、髙橋康史 2,4,5、稲垣直之 1,#
1:奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 神経システム生物学研究室
2:金沢大学 ナノ生命科学研究所
3:岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科 システム生理学研究室
4:名古屋大学大学院 工学研究科 電子工学専攻 情報デバイス工学講座
5:名古屋大学 未来社会創造機構 量子化学イノベーション研究所
#共同責任著者
掲 載 誌 :EMBO Journal
DOI:10.1038/s44318-024-00326-8
【神経システム生物学研究室】
研究室紹介ページ:https://bsw3.naist.jp/courses/courses204.html
研究室ホームページ:https://bsw3.naist.jp/inagaki/
(2024年12月25日掲載)