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奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス領域

Research 研究成果の紹介

膠芽腫細胞は「力の向き」をそろえて移動する
~がん細胞の方向安定性を捉える新たな物理指標「Mechanical polarity」を提案~

膠芽腫細胞は「力の向き」をそろえて移動する
~がん細胞の方向安定性を捉える新たな物理指標「Mechanical polarity」を提案~

【概要】
 奈良先端科学技術大学院大学(学長:塩﨑一裕)データ駆動型サイエンス創造センターの作村諭一教授
(兼:先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 データ駆動型生物学研究室)は、本学研究・イノベーション推進機構の稲垣直之特任教授、国立病院機構大阪医療センター金村米博臨床研究センター長らと共同研究を行い、膠芽腫(注 1)細胞が安定した方向に移動するためには、細胞から伸びる複数の突起(注 2)が生み出す力が同じ方向に協調することが重要であることを、細胞観察と数理モデル(注 3)を組み合わせて示しました。さらに、この力の協調状態を定量化する新たな指標「Mechanical polarity(力学的極性)」(注 4)を提案しました。本研究は、細胞が「どれだけ力を生み出すか」だけでなく、「複数の力をどれだけ同じ方向にそろえられるか」が、安定した細胞移動を理解するうえで重要であることを示しました。また、この力の協調状態を定量化する「Mechanical polarity」という新たな物理指標を提案しました。本研究成果は、がん細胞の浸潤を力の協調という新しい視点から理解する手がかりとなり、将来的には細胞が生み出す力の実測と組み合わせることで、がん細胞の移動・浸潤機構の解明やその制御につながることが期待されます。

この研究成果は、2026 年 9 月 25 日午前 3 時(日本時間)に、PLOS Computational Biology オンライン版
(doi:10.1371/journal.pcbi.1014772)に掲載されました。

【研究の背景】
 細胞が移動する際には、細胞の周囲に形成された突起が細胞外マトリックス(注 5)に接着し、その接着点を介して力を伝えます。従来、細胞移動の方向性は、細胞の形態的な前後非対称性や、細胞内シグナルによる極性形成によって説明されることが多くありました。

 しかし、細胞の形が必ずしも明確に非対称でなくても持続的な移動が起こることがあり、形態だけでは移動の方向性を十分に説明できない場合があります。そこで本研究では、細胞の形そのものではなく、複数の突起が生み出す力の向きが、細胞全体としてどの程度そろっているかに着目しました。

【研究内容と成果】
 金村臨床研究センター長らは、患者由来の膠芽腫細胞株 GDC40 を用いて、フィブロネクチン(注 6)またはラミニン(注 7)でコーティングした基板上での細胞移動と突起の動態をタイムラプス撮影により解析しました。作村教授らは、これらの実験データをもとに数理モデルを構築し、細胞の突起形成、接着、力の発生と移動との関係を解析しました。

 その結果、ラミニン上では、フィブロネクチン上に比べて細胞の移動速度が速く、方向転換が小さいことが分かりました。また、ラミニン上の細胞では、より長い突起を少数形成する傾向がみられました。一方、フィブロネクチン上では、より多数の短い突起が形成され、移動方向の変化も大きくなっていました
(図 1)。

図1:細胞外マトリックスの違いによる膠芽腫細胞の移動様式と突起形態の違い。ラミニン上では、フィブロネクチン上に比べて速く、方向の安定した移動がみられました。

 これらの実験結果をもとに、研究グループは、突起の形成・伸長・退縮、細胞外マトリックスとの接着、さらに各突起が生み出す力を取り入れた数理モデルを構築しました。

 モデルを用いて解析したところ、複数の突起が異なる方向に力を生み出す場合には、それらの力が互いに打ち消し合い、細胞本体を移動させる正味の力が小さくなることが分かりました。一方、複数の突起が生み出す力が同じ方向にそろうほど、その力が効率よく細胞本体の移動につながりました。

 そこで研究グループは、このような力の協調状態を定量化する指標として、「Mechanical polarity(力学的極性)」を定義しました(図 2)。Mechanical polarity は、個々の突起が生み出す力が、細胞全体としてどの程度同じ方向にそろっているかを表す指標です。モデルでは、ラミニン条件で Mechanical polarityが高く、フィブロネクチン条件で低くなりました。また、Mechanical polarity は細胞の移動速度と正の相関を示し、細胞内で生み出される力の協調状態と移動効率との関係を定量的に捉えられることが示されました。

図 2:Mechanical polarity(力学的極性)の概念図。複数の突起が生み出す力が同じ方向にそろうほど Mechanical polarity が高くなり、安定した細胞移動につながります。

【本研究の意義】
 本研究の特徴は、がん細胞の移動を単に「突起が多いか少ないか」「移動が速いか遅いか」といった従来の指標だけで捉えるのではなく、複数の突起が生み出す力が、細胞全体としてどの程度同じ方向に協調しているかという新たな物理的視点を導入した点にあります。

 同程度に活発に突起を形成している細胞であっても、それぞれの突起が異なる方向に力を生み出せば、力が互いに打ち消し合い、移動効率が低下します。逆に、少数の突起であっても、それらが生み出す力が一方向にそろえば、効率的で安定した移動につながる可能性があります。

 本研究で提案した Mechanical polarity は、このような「力の協調」を定量的に扱うための新たな指標です。これにより、分子レベルの接着特性と、細胞全体としての移動との関係を、力学的な観点から結びつけて理解するための新しい枠組みが得られました。

【今後の展開】
 Mechanical polarity は、本研究では数理モデルから算出した指標であり、実際の細胞で直接測定したものではありません。今後は、「Traction force microscopy(トラクションフォース顕微鏡法)」(注 8)などを用いて、細胞が基板に加える力の空間分布を測定し、数理モデルから予測された力の協調状態を実験的に検証することが重要です。また、本研究では一つの患者由来膠芽腫細胞株を用いているため、今後、他の膠芽腫細胞や異なる細胞外環境においても、Mechanical polarity と細胞移動の関係が成立するかを調べる必要があります。将来的には、細胞接着や突起形成を操作した際に Mechanical polarity がどのように変化するかを実験的に調べることで、がん細胞の浸潤を「力の協調」という物理的な観点から理解し、細胞移動を制御する新たな研究につながることが期待されます。

【用語解説】
(注 1)膠芽腫(glioblastoma):脳に発生する悪性度の高い腫瘍の一つです。周囲の正常な脳組織に浸潤しやすく、手術ですべてを取り除くことが難しいという特徴があります。
GDC40 細胞:膠芽腫患者の腫瘍組織から樹立された細胞株です。本研究では、フィブロネクチンまたはラミニンでコーティングした基板上での GDC40 細胞の移動を解析しました。
(注 2)細胞突起(protrusion):細胞表面から外側に伸びる構造です。細胞は突起を周囲に伸ばし、基質と接着して力を伝えることによって移動します。
(注 3)数理モデル:生物現象を数式で表現し、コンピューターシミュレーションによってその仕組みを解析する方法です。本研究では、突起の形成や伸長・退縮、細胞外マトリックスとの接着、細胞に働く力などをモデル化しました。
(注 4)Mechanical polarity(力学的極性):本研究で提案した、複数の突起が生み出す力がどの程度同じ方向にそろっているかを表す指標です。値が高いほど力が一方向に協調しており、低いほど異なる方向の力が互いに打ち消し合っていることを示します。
(注 5)細胞外マトリックス(Extracellular matrix:ECM):細胞の周囲に存在するタンパク質などからなる構造で、細胞を物理的に支えるとともに、細胞の接着や移動などにも影響を与えます。
(注 6)フィブロネクチン(fibronectin):細胞外マトリックスを構成するタンパク質の一つで、細胞の接着や移動などに関わります。
(注 7)ラミニン(laminin):細胞外マトリックスを構成するタンパク質の一つで、細胞の接着や移動などに関わります。
(注 8)Traction force microscopy(トラクションフォース顕微鏡法):細胞が接着している基板の変形などを測定することで、細胞が基板に加えている力の大きさや分布を推定する方法です。

【論文情報】
タイトル: Mechanical polarity links adhesion-regulated protrusions to directional stability in glioblastoma cell migration
著者名: Haruna Tagawa, Daisuke Kanematsu, Asako Katsuma, Naoyuki Inagaki, Yonehiro Kanemura*, Yuichi Sakumura*
*責任著者
雑誌名: PLOS Computational Biology 
DOI:10.1371/journal.pcbi.1014772

【データ駆動型生物学研究室】

研究室紹介ページ:https://bsw3.naist.jp/courses/courses311.html
研究室ホームページ:https://www.sakulab.org/

(2026年09月29日掲載)

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