NAIST 奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス領域

研究成果の紹介

酒づくりの酵母自らアルコール発酵を調節する仕組みを発見
酵母の細胞壁の肥厚の状態を手掛かりに、風味損なわず、アルコール度数だけを改変する発酵デザイン技術を開発細胞壁への炭素蓄積で低炭素社会への貢献にも期待

酒づくりの酵母自らアルコール発酵を調節する仕組みを発見
酵母の細胞壁の肥厚の状態を手掛かりに、風味損なわず、
アルコール度数だけを改変する発酵デザイン技術を開発
細胞壁への炭素蓄積で低炭素社会への貢献にも期待

【概要】
 奈良先端科学技術大学院大学(学長:塩﨑一裕)先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 渡辺大輔 准教授らの研究グループは、酵母(*1)がアルコール発酵(*2)によりグルコース(ブドウ糖)(*3)を分解してエタノールを生産するときに、その機能を酵母自ら調節するメカニズムを明らかにし、発酵・醸造産業にとって有用な「アルコール発酵デザイン技術」を開発しました。
酵母のアルコール発酵とは、先史時代より酒類、発酵食品、バイオエタノールなどの製造に用いられ、人類にとって最も馴染み深い微生物代謝機能の一つです。しかしながら、酵母のアルコール発酵能力について、目的の製品に合わせた適切なエタノールの濃度になるように、いかに改変すべきかが長年の課題でした。本研究では、我が国が誇る微生物資源である清酒酵母(*4)の高いアルコール発酵能力に着目して研究を進めた結果、酵母本体の細胞壁の肥厚の状態を指標とすることで遺伝子組換え技術に依らずにアルコール発酵をデザインすることができるという新しい知見を得ました。
 本研究成果により、例えば、バイオエタノール生産の効率を高めたい、あるいは、低アルコール酒類を生産したい、というような発酵・醸造産業上の多様なニーズに応えることが可能となります。さらに将来的には、アルコール発酵をしない代わりに炭素源を細胞壁として貯留できるような酵母が開発できれば、大気中の二酸化炭素濃度上昇を緩和する炭素隔離(*5)のための宿主として有用であり、低炭素社会の実現にも繋がることが期待されます(図 1)。
 この研究成果は、英国の国際学術誌「npj Science of Food」誌 7 巻に 2023 年 7 月 21 日に公開されました。(DOI:10.1038/s41538-023-00215-0


図 1 酵母細胞壁改変によるアルコール発酵能力のデザイン

【解説】
 我々は以前の研究で、優れたアルコール発酵能力で知られる清酒酵母に着目し、細胞内に核を持つ真核生物に広く保存されたシグナル伝達因子である B55δ結合型プロテインフォスファターゼ 2A(PP2AB55δ)(*6)の活性化が鍵を握ることを明らかにしていました。PP2AB55δは、哺乳類の肝細胞などでもグルコースの代謝を促進することが知られていますが、酵母において PP2AB55δがアルコール発酵を調節するメカニズムは不明でした。
 本研究では、まず PP2AB55δの機能を欠損した実験室酵母(*7)を使い、このシグナル伝達因子が無い状態でアルコール発酵を行う際にどのような遺伝子が発現するか、そのプロファイルをRNA-seq 解析(*8)という高精度な手法により調べました。そのデータを端緒として解析を進めた結果、PP2AB55δの機能低下の要因として酵母の遺伝子を働かせる固有な転写因子 Msn2/4p(*9)の活性化により、グルコースから酵母細胞壁の主要構成成分である 1,3-β-グルカン(*10)を合成する経路に関連する遺伝子の発現を促進することがわかりました(図 2)。つまり、グルコースはアルコール発酵と細胞壁合成の両方に用いられるため、細胞壁合成を促進することでアルコール発酵が阻害されると考えられます。このモデルを実証するため、図 3 で示すように、実験室酵母のPP2AB55δ機能欠損株(アルコール発酵抑制株)と Msn2/4p 機能欠損株(アルコール発酵促進株) のアルコール発酵環境における酵母細胞壁を、透過型電子顕微鏡(*11)を用いて観察したところ、予測したモデルと矛盾することなく、アルコール発酵抑制株では細胞壁が顕著に肥厚しており、アルコール発酵促進株の細胞壁は薄くなっていました。ヒトをはじめとする哺乳類では消費されないグルコースは脂肪へと変換されて蓄積されることがよく知られていますが、アルコール発酵中の酵母では細胞壁に炭素源を貯留することが明らかとなりました。


図 2 本研究で見出した酵母のアルコール発酵調節メカニズム


図 3 アルコール発酵抑制株・促進株の特徴(A)アルコール発酵能力 (B)細胞壁

 本研究で見出した知見を応用するために、清酒酵母の高いアルコール発酵能力を、遺伝子組換え技術を用いずに抑制することが可能かどうかを調べました。清酒酵母にランダムに変異を導入した株の中から、細胞壁合成阻害剤として知られるカスポファンジン(*12)の存在下でも旺盛に生育できる変異株を取得し、その特性を調べたところ、酵母の生育・生存にとって必須である細胞壁の合成を阻害しても生育できる変異株は、親株よりも細胞壁合成能力が高いことを確認しました。この変異株を用いて清酒醸造を実施した結果、アルコール発酵の進行が親株と比べて顕著に遅くなり、得られた清酒のアルコール度数も有意に低い値を示しました(図 4)。アルコール度数が低下したことによって日本酒度(*13)も減少し、甘口の清酒となったことがわかりました。一方、清酒の味わいに重要な役割を果たす有機酸やアミノ酸、またフルーティーな香りを生み出すエステル類の量にはほとんど影響が見られませんでした。したがって、本研究成果を応用することにより、他の代謝経路への影響を最小限に抑えつつアルコール発酵を特異的にコントロールできたことがわかりました。このような非遺伝子組換え型の酵母育種技術を「アルコール発酵デザイン技術」と名付け、発酵・醸造産業への応用を目指していきたいと考えています。


図 4 「アルコール発酵デザイン技術」により作製したアルコール発酵抑制清酒酵母
(A)清酒発酵試験におけるアルコール発酵能力 (B)清酒中の成分分析結果

【背景と目的】
 酵母のアルコール発酵とは、先史時代より酒類、発酵食品、バイオエタノールなどの製造に用いられ、人類にとって最も馴染み深い微生物代謝機能の一つです。長年にわたる研究の蓄積を経て、各代謝反応を触媒する酵素やそれらをコードする遺伝子も全て解明されています。合成生物学が盛んな現代では、有用物質生産能力を向上させていくバイオものづくり技術は普遍的な方法論となりつつあります。このため、酵母のアルコール発酵についても自由に改変できると思われがちなのですが、実際には驚くほど困難であり実現のめどが立っていないのが現状です。発酵・醸造産業ではいまだに、温度や栄養源の管理により酵母の生死のみをコントロールする昔ながらの技術が用いられており、細胞あたりのアルコール発酵能力をいかに改変すべきかが課題となってきました。本研究では、我が国が誇る微生物資源である清酒酵母の高いアルコール発酵能力に着目して研究を進めた結果、各細胞においてアルコール発酵と細胞壁合成が拮抗しており、細胞壁の肥厚の状態を指標とすることで遺伝子組換え技術に依らずにアルコール発酵をデザインすることができるという新しい知見を得ました。

【今後の展開】
 本研究における発見に基づいて開発される「アルコール発酵デザイン技術」は、酒類、発酵食品、バイオエタノールなどの製造に広く活用することが可能となります。例えば、バイオエタノール生産の効率化に向けて特定の基質からのアルコール発酵能力を高めたい、あるいは、低アルコール酒類の開発のために他の香味成分の生成などには影響を与えずアルコール発酵能力だけを選択的に阻害したい、というようなニーズに応えることが可能となります。また、酵母は他の微生物と比較すると、優れたアルコール発酵能力により環境中の炭素源を効率良く取り込んでエタノールを生産することができます。将来的に、アルコール発酵だけを選択的に阻害し、代わりに炭素源を細胞壁として貯留できるような酵母が開発できれば、大気中の二酸化炭素濃度上昇を緩和する炭素隔離のための宿主として有用であり、低炭素社会の実現に繋がることが期待されます。

【用語解説】
*1 酵母:単細胞性の真菌類の総称で、イースト菌とも呼ばれます。パン作りに用いられるパン酵母、清酒醸造に用いられる清酒酵母などが代表例です。
*2 アルコール発酵:糖を分解してエタノールと二酸化炭素を生成し、エネルギーを得るための代謝プロセスです。
*3 グルコース(ブドウ糖):天然に存在する代表的な単糖です。ブドウなどに多く含まれブドウ糖とも呼ばれます。
*4 清酒酵母:酵母の中でも清酒醸造に用いられるものを指します。一般的にはアルコール発酵能力が高く、かつ、清酒らしい味や香りの成分を生み出す能力に優れています。
*5 炭素隔離:大気中の二酸化炭素の削減のために、炭素をバイオマスや土壌などの形で回収し貯留することです。
*6 B55δ結合型プロテインフォスファターゼ 2A(PP2AB55δ):細胞内シグナル伝達において重要な役割を果たすシグナル伝達因子であるヘテロ三量体型プロテインフォスファターゼのうち、機能特異性を生み出す調節サブユニットがB55δクラスであるものを指します。
*7 実験室酵母:パン酵母や清酒酵母と同じ生物種に属し、真核生物のモデルとして基礎研究で用いられる研究用の酵母です。
*8 RNA-seq 解析:次世代シーケンサーを用いて、サンプル中のあらゆる遺伝子の発現を、網羅的・定量的に解析する手法です。
*9 転写因子Msn2/4p:酵母が保有するジンクフィンガー型(亜鉛とアミノ酸が錯体を形成)転写因子の一種であり、環境やストレスに応答した多様な遺伝子の発現に関与しています。
*10 1,3-β-グルカン:グルコースが直鎖状に結合することで形成されるポリマーの一種であり、酵母などの真菌の細胞壁に特異的に存在する成分です。
*11 透過型電子顕微鏡:観察対象に電子線をあて、透過してきた電子線の強弱から観察対象内の電子透過率の空間分布を観察するタイプの電子顕微鏡です。細胞内部の微細な構造を解析するために用いられます。
*12 カスポファンジン:1,3-β-グルカン合成酵素に対する特異的な阻害剤の一種です。抗真菌薬としても用いられます。
*13 日本酒度:清酒の比重を表した数値であり、一般的にマイナスの数字が大きいと甘口に、プラスの数字が大きいと辛口に感じられます。

【微生物インタラクション研究室】
研究室紹介ページ:https://bsw3.naist.jp/courses/courses313.html
研究室ホームページ:https://bsw3.naist.jp/microbial_interaction/

(2023年08月03日掲載)

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