卒業生の声 - 拡がるNAIST遺伝子 -
中川 誠人 さん
- 京都大学 iPS細胞研究所 初期化機構研究部門
- 2001年度(博士) 細胞構造学(細胞内情報学)
天国?地獄??NAIST時代
私は1997年にバイオサイエンス科の第4期生として入学し、貝淵弘三教授の細胞内情報学講座(現在:名古屋大学医学系研究科神経情報薬理学講座)で細胞内のシグナル伝達機構について研究を行いました。テーマは接着分子カドヘリンを介した細胞間接着と低分子量G蛋白質Rhoファミリーとの関係でした。博士後期課程を無事修了し、名古屋大学(貝淵研)にてポスドクとして研究を続け、2004年に奈良先端大の山中伸弥教授の動物分子工学部門の助手として採用していただき、ES細胞の機能解析を行っていました。その後、2006年に山中教授とともに京都大学再生医科学研究所に異動し、現在は同大iPS細胞研究所・講師として研究を続けています。
研究をやってみたいと思ったのは高校の頃で、分野も生物学をやろうと大枠は決まっていました。大学に入ってからは自分なりに大学院のことを調べてどういった研究をしようかなど考えていました。体育会の部活をやっていましたが研究に対する気持ちが薄れることはなく、4年生の時には部活を引退し大学院進学への準備をしました。4年生時の研究室配属では応用無機化学というバイオとは別分野の研究室に配属が決まってしまいましたが、これが転機でした。当時応用無機研の助手で指導をしていただいた猪俣先生に奈良先端大を勧められ、そのまま受験・合格・入学しました。結構安易に考えていたところがありましたが、実際の研究生活の厳しさに触れその考えは叩きのめされるのでした…
バイオのことを何も知らない(自分なりには勉強しましたが)人間がやっていけるのかと不安でしたが、入学初期からの過密な座学や実習は大変でしたが素人にとっては非常に助かりました。そして、本格的に研究室に配属されてからは死ぬ気で、というか死にそうになりながら実験をしました。とにかく実験・実験・・・の日々でした。また、配属当初の進捗報告会では先輩方の話がお経のようにしか聞こえず・・・寮に住んでいたので外部とも遮断され・・・実験では牛脳や大腸菌にまみれて・・・修業の毎日でした。しかし、貝淵教授やスタッフ、先輩の方々のサイエンスに対する姿勢は格好良く、それに引っ張られてなんとかやれていた気がします。
奈良先端大の研究環境は非常に恵まれていましたので(研究以外の環境は?)、私の大学院時代の研究生活はかなり充実したものでした。いろいろな経験ができ、苦労して得られた実験結果は本当に嬉しかったですし、研究の醍醐味を存分に感じることができました。そして、奈良先端大での経験は研究者としての今の私の基礎となっています。研究面だけでなく人としてどうあるべきかについても学べた気がします。当時ご指導いただきました諸先生方にはこの場を借りてお礼申し上げます。
最後に、「NAISTを目指す若者よ、大学院時代は死ぬほど苦労するべし」。
【2011年12月掲載】